※「
隙を窺う氷月くん」の続き
伸びてきた髪を一思いに切ってしまおうと準備していると、自決でもする気かと斜め上の心配をされた。
発想が物騒だ。態とらしく眉間に皺を寄せてみると氷月くんは「冗談です」と肩を竦めた。
「随分伸びましたね」
人の散髪を見物するつもりなのか、そのまま居座る氷月くんの視線が頭頂部に突き刺さる。
どうやら、少なからずこの人に想われているらしい。それが分かってからもう随分と時が経ってしまったような気がしていた。髪も伸びるわけだ。
「纏めて誤魔化すのも大変でさ、それならいっそ短くしようかと」
ジャキン、ジャキンと髪の束を切る音が響く。髪が細くて柔らかければもっと可愛げのある音でもしたんだろうか。
「……誰かに頼めば良かったのでは?例えば杠クンとか」
「うん。まぁ、そうなんだけどね」
一人で毛を切りながら刃物と格闘したってきっとうまくいかない。分かってはいたけれど。
「氷月くん。後ろどうなってるか教えてもらえないかな」
「教えたところで整えられるとは思いませんが」
「そんな意地悪な……ひっ」
うなじの辺りに何かが近づく気配。思わず息を呑むと「まだ触ってません」と不服そうな声が返ってきた。
「あ、いや、びっくりしただけ。……ついでだからそのまま切って、って言ったら怒る?」
今度は氷月くんが息を呑む番だ。ついでにしては責任が重いと文句を言いながらも氷月くんはハサミを持った。
「悪いね。なんか」
「いえ別に」
私に声をかけたばかりに何故か髪を切らされている氷月くんの姿はきっとかなりシュールに違いない。普段の身長差も相まって彼がどんな姿で私の髪を弄っているのか気になってしまう。後ろが見えないのが非常に残念だ。
「長さは」
「うーーん氷月くんくらい?」
「正気ですか」
注文を聞いてくれるわりには容赦なくジャキジャキいってるような。時折首筋に触れる指先が擽ったい。流石の彼もこういう時はいつもの手袋を外しているようだ。しかし何より驚いているのは彼が肌身離さず持ち歩いている管槍が私の膝の上にあることである。
いくら何でも無防備すぎやしないだろうか。
「無防備ですね」
「へっ!?」
「刃物を持った男が背後にいるんですよ?」
「それは私が頼んだから……」
一瞬、心を読まれたかと思った。今動くとうっかりハサミが刺さるなどとこれまた物騒なことを言う氷月くんは、いつもとあまり変わらない。いや、いつもより楽しそう……かもしれない。
「成り行きとはいえ、君の髪に触れるのを許可されている。少しくらいは自惚れますね」
こういうことをさらっと言われるのは初めてではない。でも慣れたと片付けてしまうのは口惜しい。そもそも誰にでも触らせるようなものじゃないのだ、自分の髪なんて。
ひと通り整え終わったらしく、氷月くんの指が首についた細かい毛をつまんでいく。 最後に肩や背中まで軽く払っていってくれた。まさに至れり尽くせりである。
「気になるなら他の人にでも見てもらってください」
「ううん大丈夫だと思う。ありがとう……どうかな」
可愛いとか綺麗だなんて直球を期待してはいない。でも決して少なくはない時間をかけて、この人は私の傍にいてくれた。
少しだけ不安だった。切った後のこの髪みたいに、私の想いも心変わりも軽いものだと呆れられやしないかと。
「ああ、思ったよりちゃんとできてますね」
「うわ〜自画自賛」
「好きです」
「え。こっ、この流れで」
驚きはしたけれど、それは髪型の好みの話でしょうかなんて今さら聞けなかった。
とぼけられない程度には分かっていた。はっきりと伝えられて、ようやく分かり合えたと思った。
「……あったので。勝算」
私がうんと頷けば、この人はやっと報われる。僅かばかりの心ここにあらずな思考を根刮ぎ焼いて溶かしてしまうような熱い何かが、私の中で渦巻いていた。
2021.11.30
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